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第5話 -宗教(1)-



 子供のころ、七五三(しちごさん)だといっては晴れ着(はれぎ)をきて神社にでかける。そして神主(かんぬし)さんにのりと・・・(祝詞)をあげてもらい、ちと・・せあ・・(千歳飴)をぶらさげて帰ってくる。身内(みうち)に不幸があると、お寺に行き、木魚(もくぎょ)をたたくお坊さんの姿をみながらお経をきく。
 結婚となれば、こんどは純白のウェディングドレスに身をつつみ、教会でとわ・・(永遠)の愛を誓いあう。
 私たちは、こういった神道(しんとう)の“神社”、仏教の“お寺”、それにキリスト教の“教会”といった、異(こと)なる宗教の施設やその関係者と日ごろ親(した)しく接しています。ところが、“日本人には宗教がない”という内外の声をしばしば耳にします。また、自分でも無宗教だと思っている人が少なくない。
 その一方で、近ごろ死刑が執行されたオウ・・ム真・・理教・・の面・・(めんめん)。彼らのように、インテリ青年たちを含めた狂信的な信者も実際にいるわけです。





司会(松山):
 そこで今回は、若い人たちが宗教とどのようにつき合ったらいいのか。それを念頭(ねんとう)において、宗教というものについてあれこれ考えてみたいと思います。


出席者は、いつものメンバーである

 北野三郎(34歳 弁護士)
 白井恵子(47歳 社長秘書)
と、今回が初参加の
 中沢つとむ(28歳 学生)
 近江(おうみ)エリカ(58歳 小説家)
 今里妙子(いまさとたえこ)(69歳 住職の妻)
それに、MC(司会)  私・松山遼人

と、いった顔ぶれで話し合いを行ないます。

ちなみに、近江(おうみ)さんは、宗教を題材にした小説をいろいろ書いているかたなので、今回はおもしろいお話がきけるかと思います。


白井:
 (近江に向って)小説をお書きになってもう長いんですか?

近江:
 学生の頃からですので、かれこれ38年程になりますか。でも、売れない小説ばかりで・・・(と照れ笑い)。

北野:
 どういうジャンルのものが多いんですか?

近江:
 日本の仏教、それも鎌倉時代のものですね。たとえば、浄土真宗をひらいた親鸞(しんらん)ですとか、“禅”にまつわるものに興味をもっています。

中沢:
 ぼくは剣道を習っているんで、禅には興味をもっているんです。大学では宗教学を学んでいますけど。

司会(松山):
 今回の『宗教』では、“禅”についてもじっくり話し合いたいと思っていますので、楽しみにしてください。

 さて、白井さんに伺(うかが)いますが、なにか帰依(きえ)している宗教はありますか。

白井:
 いえ、信仰している宗教はとくにございません。
ですが、実家は神道(しんとう)なんです。それで幼い頃から、神社にはいってましたね。神主(かんぬし)さんにも親しみがあります。

司会(松山):
 神社には、なにか思い出がありますか?

白井:
 玉串(たまぐし)が印象に残っています。榊(さかき)の小枝に紙か布のしで・・(垂)というんでしょうか。それのついた玉串を、神主さんが私の目の前でシュッ、シュッと振ってましたね。

北野:
 厄除(やくよ)けのお祓(はらえ)でしょうかね。

司会(松山):
 ほかにはどうでしょうか。

白井:
 葬儀のとき、ご霊前に置かれた(自分の方に向いている)榊の小枝を180度まわして祭壇(さいだん)のほうに向けたことですね。

司会(松山):
 幼い頃からなじんでいる神道の思い出はそれだけですか(笑)。

(笑いながら白井がうなずく)

中沢:
 (白井のほうを向いて)キリスト教では、博愛(はくあい)だとか、罪(つみ)の赦(ゆる)しを説きますね。汝(なんじ)の隣人を愛せよなどといって。神道の教えってどんなものなんですか?

白井:
 よくわかりません。
 でも、なにかにつけて神主さんが“祭り”をとり行っていた印象がありますね。やれ“〇〇祭”だとか、それ“△△祭”だとかいって。
 こんど、神主さんにお会いしたら、神道の教えってなにか聴いてきます(笑)。

近江:
 今、祭りばかりやっていたといわれましたが、神道はもともとそういうものなんですよね。
というのも、神道って、日本の古代宗教ともいうべきものなんです。日本の文明ができあがっていくときに、自分たちの神や先祖を祀(まつ)るという、祀りを中心とした宗教ですから。

白井:
 よかった。じゃぁ、私の思い出も間違ってはいなかったのね(笑)。

近江:
 神道には、自然崇拝があります。それも森羅万象(しんらばんしょう)を神としている。だから(キリスト教のような一神教とちがい)もともとが多神教なんです。

司会(松山):
 かまど(竈)の神や地神、荒神(こうじん)さま、七福神のひとりのエビス(恵比寿)さま、それに山の神など。

北野:
 山の神なら家(うち)にも一人いますよ。けっこううるさくて怖(こわ)いのが(笑)。

今里:
 うちの住職(夫)も、わたくしのことを山の神なんて呼ぶんですよ。禅宗の坊主(ぼうず)のくせに。 そんなにわたくしって、うるさがられているのかしら。

近江:
 山の神って、いろいろおいでになるんですよ。山に神秘性を感じてうやまわれる神。春に芽(め)をだし秋に実(み)をむすぶ山の幸(さち)。そういう食べ物をさずけてくれる大地母神など。

北野:
 先日(10月28日)のことですが、毎日新聞が“樹木葬”というのをとりあげていたんです。二万坪近い里山全体を墓にしているというんですね。

近江:
 あっ、それは知勝院(ちしょういん)のことじゃないですか?岩手県一関市にあるお寺さんのことですけど。

北野:
 たしか、そうだったと思いますが。“花に生まれかわる仏(ほとけ)たち”というキャッチフレーズで、いま1600人ほどが眠っているとか。

近江:
 あの樹木葬のばあい、埋葬されるところが石のお墓ではない。樹木の下なんですね。そこに名前を書いた木札が立てられている。で、だれが眠っているのかがわかるようになっているんです。

北野:
 あれなども、山の神と関係があるんじゃないかと思うんですが。いや、うちの家内でなく、本当の山の神さまですね。

近江:
 (笑いながら)古代から農民は、山を死者の霊がお休みになるところと信じていたんですね。
 で、死者の霊は、時をへるにつれて祖先神となる。
 そして、山頂から自分の子孫たちを守ってくれると・・・。

北野:
 じゃぁ、里の山全体を墓地とするのって、まさに山の神信仰のうえに成りたっているのでしょうね。

今里:
 すると、うちの住職がわたくしを山の神っていうのも、まんざら悪いだけでもないんですね。

でも、主人がわたしに神秘性を感じているとは、とても思えませんね。ときには、「このクソばばぁ」なんていってますもの(笑)。

白井:
 でも、今里さんはご住職の食卓に“海の幸(さち)” “山の幸”をさずけてあげていますでしょ。大地・・母神・・そのものじゃないですか。

今里:
 そういえば、そうですよねぇ(笑)。

白井:
 こんど山の神なんていったら、「山の神と、さま・・をつけなさい」。そう言って胸をはったらいいですよ。

今里:
 そうしましょ(笑)

(北野が手をあげた)

司会(松山):
 はい。

北野さん、どうぞ。

北野:
 “祭り”って、そういう神々をたたえ、豊作というご利益(りやく)を願って行う儀式のことですよね。だから神道で祭りごとが多いのはあたりまえということですね。

中沢:
 でも、疑問があるな。さっき言ったように、ぼくは大学でいま宗教学を学んでいるんです。
 だけど、キリスト教でいえば、イエス・キリストという教祖、仏教でいえば釈尊という教祖がおいでになる。
 しかし、神道にはいわゆる教祖・・はいない。なにしろ相手は自然ですから。それに何を教えているのか、その教義・・もわからないし、経典・・すらない。ないないづくしですよね。
 それで果(は)たして宗教といえるのでしょうか?

司会(松山):
 きびしい指摘がでましたね。たしかに神道には中沢さんがいうように教祖はいないですな。

近江:
 ですが、古事記・・・(こじき)を神道の聖典とみていい、という作家のI氏のような人もいることはいます。習俗であるとか、祭りといったものの中にその思想を秘めているんですね。

中沢:
 ということは、日本人の血の中に神道的なものの考え方(自然を神とし、自然と仲良く生きる知恵)が流れているということでしょうか。

近江:
 そうですね。もともとの神道はそういったおだやかで柔軟なものなんですよ。で、インドから中国をへて日本に入ってきた仏教とか、儒教(じゅきょう)とも折合(おりあ)いをつけてやってきたんです。

北野:
 “神仏習合(しんぶつしゅうごう)”がまさにその典型的な例ですね。奈良時代から長いこと、仏教信仰とまじりあいながら、でも一つの宗教体系として成りたってきていた。

近江:
 ええ。
 ですけれども、明治時代にはすべての神社で神仏・・の分・・がおこなわれたんですね。

北野:
 そして神道は、国家・・神道・・という一神教的なものに変えられた。天皇を中心として国民の統合をはかり、欧米列強といったキリスト教の国々に対抗するために。

司会(松山):
 だけど、明治政府もわかったんでしょうね。神道にはっきりとした一つの教義体系をつくる。そしてそのたった一つの教えによって人びとをコントロールする。そんなことの出来っこない、ということが。

北野:
 そう思いますね。
 それでいわゆる明治憲法(戦前の大日本帝国憲法)で、信教の自由が認められた。第28条に明文があるんですね。

司会(松山):
 もっとも、明治憲法が信教の自由をゆるしたのは、欧米列強へのアピールという面もあったんじゃないかな。日本・・は近・・代国・・なんだぞという・・・。

北野:
 でしょうね。ともあれ一言で神道といっても、伊勢神道、出雲神道、法華神道などの諸派があるわけですよね。
 それも神道・・の教・・がなにかを分かりにくくしている原因の一つなんじゃないかな。

近江:
 (うなずく)

司会(松山):
 北野さんも、だいぶ神道の知識をお持ちのようですが?

北野:
 祖父(そふ)の住んでいた旧い家が神道で、神棚(かみだな)がまつってあったんですね。
 とくに神道に対する思いいれがある、というわけじゃないんです。

司会(松山):
 学校はどうでした?

北野:
 私自身は、幼稚園がカトリック。中学、高校もS学園というミッション系の学校でした。校内に教会もあり、ミサ・・も行われていましたね。自分は参加したことはないですが(笑)。

司会(松山):
 S学園と言えば、カトリックの世界観をもとに立派な紳士をつくる学校というイメージがありますが・・・。

白井:
 それでなのね。北野さんがいつもジェントルマンぽく見えるのは。

(しばし笑い)

司会(松山):
 さて、話を進めましょう。

 神道といえば、神社ですね。そして神社といえば、やはりお稲荷(いなり)さんを思いだすのではないでしょうか。
 稲荷信仰については、近江さんに伺いましょうか。

近江:
 はい。私たちにとって、お稲荷さんというのはとても身近な神社だと思いますね。全国では、3万2000社もあるといわれています。名のあるものだけで。その総本宮(そうほんぐう)が、京都にある伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)になるわけですが。

司会(松山):
 たしかに、お稲荷さんて身近なものですね。私も子供の頃から馴染(なじ)んでいました。というのも、そのころ住んでいた古い家の庭には小さな社(やしろ)があった。入口には、たしか2匹(ひき)のキツネ。それが門番(もんばん)のように座っていたのを憶えています。

近江:
 そうなんですよ。
 きつねは、稲荷大神さまのお使いだとされているんです。
 ですが、あれは野山にいるただの狐(きつね)じゃぁありません。“びゃっこさん”と呼ばれる白い(透明の)狐なんですね。

中沢:
 でも、どうして狐なんですかね。大神さまのお使いならば、たぬき(狸)にだってできそうなもんだけど。

白井:
 それはねぇ。昔、人里はなれたところに二匹のきつねが住んでいたのよ。冬になって雪がふり、山奥にはなんにも食べるものがない。
 で、こまった二匹が山をおり、人家の近くまできたときのこと。ふとお稲荷さんの奉られている社(やしろ)を見たのね。

中沢:
 するとそこに、おいしそうな油揚(あぶらあ)げがあった、なんていうんじゃないでしょうね。

白井:
 いえ、そのとおりなのよ。近くのお豆腐屋さんが、お供えものにしていたの。で、二匹はもうしわけないと思いつつも、空腹には勝てない。つい、食べてしまったのね。それはほっぺたがおちるほどおいしかった。で、それに味をしめ、その後もしばしば山をおりてきてはお供えものを失敬(しっけい)していたの。

中沢:
 それで?

白井:
 その二匹は、きつ・・ね柄・・(がら)がとてもよかったのね。それで、お稲荷さんのもの(油揚げ)をだまって食べていたことに心を痛めていた。

中沢:
 で、なにかお稲荷さんのお役に立ちたい。そう思って、そのお使いになった、とでもいうんですか?

白井:
 まさにそのとおりなのよ。

(ほんとかなと首をかしげながら、中沢が近江のほうを見た)

近江:
 じつは、きつねは早春にエサを求めて山から里におりてくるんですね。毎年きまって。それがちょうど田をおとずれる田の神・・・の行動パターンに似ていた。そのことから神の使いと信じられたようですね。

司会(松山):
 なるほど、それが“びゃっこさん”の由来ですか。わかりました。
 で、さきほどの話に戻りますが、私がその古い家をついだんですよ。ところが、その小さな社が老朽化(ろうきゅうか)した。それで新しくしたんだけれど、社ごと一式を買いもとめました。京都の伏見稲荷大社の社務所にいろいろと教えていただきながら。

近江:
 それは、良いことをしましたね。
 稲荷大神さまは、いまでは五穀豊穣(ごこくほうじょう)をつかさどるだけの神ではない。商売繁盛(しょうばいはんじょう)・家内安全をはじめとして芸能上達まで守備範囲の広い守護神さまです。
 きっとなにかご利益(りやく)があったはずですよ。

司会(松山):
 あれから心なしか、お金の流れがよくなったかな(笑)。

中沢:
 ほんとですか?ぼくもお稲荷さんがほしいなぁ(爆笑)。

近江:
 京都の稲荷山には、およそ1万基の赤い鳥居(とりい)があるんですよ。みんな信者さんから奉納(ほうのう)されたものですが。この鳥居を奉納する習わしは、江戸時代からはじまっているんですね。

司会(松山):
 とくに千本・・鳥居・・と呼ばれる所。あそこは、せまい間隔でたくさん建っていて名所になっているんですね。赤い鳥居のつづく風景は圧巻(あっかん)です。

近江:
 この京都の伏見稲荷は、2014年から4年つづけて、外国人に人気の観光スポット第1位になっています。赤い鳥居の続くありさまは、外国人の目からみればとても日本的なのでしょう。しかも拝観料はただ・・なんですから。

北野:
 それと、アメリカ人やヨーロッパの人達の好むウォーキングも出来る。本殿付近はライトアップされていて、夜でも参拝(さんぱい)できますものね。

近江:
 そうですね。

司会(松山):
 さて、神道やお稲荷さん信仰というのは、日本だけのもの。世界で広く信仰されている宗教もあります。キリスト教・イスラム教・仏教などといったものがそれで、世界・・宗教・・と呼ばれています。
 そのあたりをどなたか?

中沢:
 ぼくが口火(くちび)をきりましょうか。今日のためにすこし勉強してきましたから。

司会(松山):
 では、中沢さんにお願いしようかな。

近江:
 (中沢のほうを見て)キリスト教・イスラム教・ユダヤ教の三つは密接に関係していますよね。ですから、この三つから始めたらいいと思いますが。

中沢:
 わかりました。
 この三つのなかで最も古いのは、紀元前にはじまったユダヤ教だといわれています。
 ユダヤ教では、ユダヤ人を神に選ばれた民族だとしています。
 が、その後そのユダヤ教から分かれてキリスト教が誕生します。

北野:
 ユダヤ教といえば、シナゴーグ(教会堂)っていうのがありますよね。新聞を読んでいたら、きのう(10月27日)ペンシルベニア州のシナゴーグで8人が射殺されたっていう記事がでていました。おどろきましたが。

司会(松山):
 そうですか。犯人のめぼしや動機はわかっているのかな。

北野:
 銃を乱射した犯人は、ひげを生やした白人で、かけつけた警官らにも銃撃をくわえたということです。

近江:
 その記事、わたしも読みました。
 シナゴーグでは、朝の礼拝が行われていて、100人近い参列者がいたようですね。CBSテレビによると、男が銃を乱射した際に、「ユダヤ人はみな死ね」とさけんでいた、といいます。

司会(松山):
 ひどい話だけど、動機はなんでしょうかねぇ・・・。
 さて、その事件はひとまずおいて、本筋に戻りセミナーをつづけましょうか。

 近江さん、どうぞ。

近江:
 (中沢に向って)ユダヤ教にある欠点を批判して、キリスト教がユダヤ教から枝分(えだわか)れしたんですね。

中沢:
 (うなずく)そして、イスラム教が紀元610年に、同じくユダヤ教から枝分れして誕生しました。

司会(松山):
 そうすると、この三つの宗教のルーツはもともとは一つ(=ユダヤ教)なんですね。わかりました。話を進めてください。

中沢:
 まずユダヤ教からいきますが、この宗教の信奉(しんぽう)する神は『ヤハウェ』です。日本人には耳馴(みみな)れない神ですが。
 で、だれが始めたのかというと、“アブラハム”というユダヤ民族の祖だといわれています。
 そして聖典。それは『タナハ』という書物で、キリスト教徒からいわせると、旧約聖書ということになります。

近江:
 (「ちょっとフォローします」といって口をはさむ)

 ユダヤ教は、もともとが中近東で発生したもので、世界最古の宗教ともいわれています。この宗教が信奉する“ヤハウェ”は、天地創造の神といわれているんですね。海や川、山といった世の中のすべての物をつくりだした・・・。

北野:
 すると、天地・・自然・・のす・・べて・・に神・・が宿・・という自然崇拝の点では、日本古来の宗教観に近いのかな?

近江:
 そうですね。
 でも、日本では山にも川にもそれぞれに神が宿る(=多神教)とみます。ですが、ユダヤ教での考え方は、“ヤハウェ”こそが造物主として唯一の神である(一神教)と信じるわけですね。

北野:
 つまり、一神教という意味ではユダヤ教、キリスト教、イスラム教はすべて同一である。でも、日本の神道は多神教であって、この三つとは考え方が根本からちがう・・・。

中沢:
 一神教と多神教のちがいは、とても重要だと思うんですね。
 というのは、一神教だと、自分たちの信ずる神のほかはいっさい認めない。他の宗教の排斥(はいせき)に動く傾向がある。ヨーロッパでの宗教戦争の根っこにはこれがあると思います。

近江:
 フランスで発生したユグノー戦争。あれはカルバン派とカトリック派のあいだにおきた抗争でした。オランダのいわゆる八十年戦争・ドイツを中心とする三十年戦争など宗教戦争の基因(きいん)になっていると思いますね。

北野:
 改革って、ふつうは良くするためのものでしょ。それが新旧両派の対立によって政治的な争いになるなんて困ったものですね。
 いまユダヤ教徒は、1500万人ほどイスラエルやアメリカにいるようですが・・・。

 (しばし沈黙)

司会(松山):
 ところで、“嘆(なげ)きの壁”というのが、ユダヤ教の聖地だといいますね。
 あれは、どういうことからそう呼ばれるようになったんですか?

近江:
 かつてローマ帝国によって、エルサレムにあるソロモンの神殿が破壊されたんですね。で、ユダヤ人は、あちこちに離ればなれになってしまった。嘆きの壁は、残った神殿の西側にある遺構(いこう)のことで、(離散した)ユダヤ民族のシンンボルとしたことからですね。
司会(松山):
 そうでしたか。それに、ユダヤ教といえば、ユダヤ人の知恵を集めたタルムードも有名です。これがなかなか面白いんですね。が、時間の関係で残念だけどつぎにいきますか。中沢さん。お願いします。

中沢:
 わかりました。
 つぎは、イスラム教ですが、教祖はムハンマドといわれています。1400年ほど前にこの人が開いた宗教で、信者はアッ・・ラー・・を信仰しています。この宗教の聖典ですが、コー・・ラン・・というものなんですね。これは教祖ムハンマドが、アッラーの神からくだされた啓示(けいじ)だといわれている。人は、その教えを信じて行動することがもっとも大切だとされているんです。

北野:
 コーランの中身は?

中沢:
 それが、広範囲にわたるものでして。
 たとえば、神(アッラー)の唯一性ですとか、人類史。儀礼的規範、礼儀作法、婚姻・相続・売買から刑罰といった法的規範まであります。

白井:
 いま、どの位の数の信者さんがいるんですか?

近江:
 イスラム教の信徒は、キリスト教についで多いんです。16億人ほどでしょうか。おもに西アジア、北アフリカ、南アジア、東南アジアが中心ですね。

北野:
 聖地はどこになるんですか?

近江:
 当初はエルサレムに向って礼拝をしていたのですが、ユダヤ教から反発があったんですね。それでのちに、メッカ。その後メディナ、そしてエルサレムの岩のドームに変更しているようですが。

白井:
 イスラム教って、女性蔑視(べっし)がひどいようですね。

近江:
 ええ、たびたびそれが問題だとして取りあげられていますね。

北野:
 それと、戒律(かいりつ)が厳しいんですね、たしか。一日5回、メッカに向って礼拝を欠かしてはいけない。ラマダンの日は、日中なにも飲んだり食べたりしてはいけない、というように。

近江:
 (うなずく)

司会(松山):
 さて、イスラム教はそのくらいにして、つぎに世界最大の宗教・キリスト教にいきましょう。信者はおよそ22億人といわれます。
 いうまでもなく、ナザレのイエス・・・を救い主と信じる宗教ですね。
 中沢さん、説明をお願いできますか。

中沢:
 わかりました。
 キリストは、エルサレムにあるゴルゴダの丘ではり・・つけ・・の刑・・になりました。が、よみ・・がえ・・った・・(復活した)。それを信じるのがキリスト教の教えですね。
 聖典は、ユダヤ教からうけついだ旧約・・聖書・・。それに、キリスト教の聖典である聖書・・の2つがあります。

白井:
 キリストは、はりつけの刑になったということでしたが、どうしてそんなことに?

中沢:
 キリストは、もともとユダヤ教徒だったんです。それがある時、自分はヤハウェ(神)の子であり、ヤハウェが今の世に遣(つか)わせた救世主なのだ、といいだした。で、ユダヤ教徒が怒ったんですね。神を侮辱(ぶじょく)した、といって。
 で、十字架にはりつけにして・・・。

白井:
 なにもそう言ったからって、はりつけにして殺さなくてもいいと思うんですけどねぇ。気の毒に(笑)

近江:
 キリストは、神(ヤハウェ)のことを父と呼んだ。
 つまり、自分は神の子で、神と人間との仲保者(ちゅうほしゃ)であると。
 だから、自分をとおさないと、人間は神につながることができないとまで…。

中沢:
 それが、神を絶対とみるユダヤ教の信徒たちを激怒させてしまったと思いますね。

今里:
 それはやっぱり、ユダヤ教徒の人たちもキリストさんも、みんな善人ばかりということね。だから、そうなるんですよ。
 わたくしの家(うち)と同じだわ。

中沢:
 えっ、どういうことですか?

今里:
 いえね、「善人ばかりの家(うち)はよく揉(も)め、悪人ばかりの家はよくおさまる」っていうじゃありませんか。

 (セミナー会場がシーンと静まる)

 主人はなにかあると、「俺は良いことをしている。どうして俺が悪いんだ」。そういって、わたくしや子供たちを怒鳴(どな)りつけるんです。

白井:
 で、奥さんもくやしいから、「わたしだって良いことをしているのよ。どうしてわたしが怒られなきゃいけないのよ」っていい返す・・・。キリストにも、今里さんたちにもいえるけど、口は禍(わざわい)のもとね。

今里:
 そのとおりなの。白井さん、まるでうちの中を覗(のぞ)いていたみたいね(笑)

白井:
 「病は口より入り、禍(わざわい)は口より出(い)ず」といいますでしょ。でも、ほんとね。

今里:
 ええ。で、いっそのこと悪人ばかりの家ならよかったのにって思うんですよ。

中沢:
 悪人ばかりの家って、どうしていいんですか?

今里:
 それはもう、穏(おだ)やかなものだと思いますよ。
 なぜ?みんなが揃(そろ)って「自分が悪いんだ」と頭をさげますから、ケンカにならないでしょう。

(一同が笑う)

中沢:
 冗談(じょうだん)はともかくとして・・・。

今里:
 いえ、冗談なんて主人に言おうものなら、「俺は冗談と坊主の頭はゆったことが無(ね)え」なんて叱(しか)られてしまうわ(泣く)。

司会(松山):
 ちょっと脱線しましたかね。

 さて、白井さん。さきほどのつづきに戻りましょうか。

白井:
 はい、すみませんでした。
 ところで、わたし以前、キリスト教では神とキリストと聖典を信仰するって聞いたことがあるんですよ。そうすると、信仰するもの(対象としての神)は三つあるっていうことになるんでしょうか。

近江:
 いえ、その三つを三位一体(さんみいったい)とし唯一(ゆいいつ)の神として信仰する。そういうことなんですね。でも、ここはたしかにわかりにくいところで、議論があります。

司会(松山):
 なるほど。では、そのところは深く立ち入らないで、先に進みましょうか。

 中沢さん、つづけてください。

中沢:
 はい。キリスト教の主な教派ですが、大別すると西方教会と東方教会があります。そして、それぞれが更にわかれているんですね。
 西方教会ですと、一つがカトリック教会でローマ教皇を中心とするローマ・カトリック。それに、16世紀の宗教改革によってカトリックから分派したプロテスタント会派。そのほか聖公会などですね。これらは、西ローマ帝国の旧領・西欧で発展したものです。

北野:
 東方教会って、どうなっているのだろうか。

中沢:
 東方教会のなかには、正教会(ギリシャ正教)ですとか、非カルケドン派・アッシリア東方教会などがあるようです。じつは詳しいことは、ぼくもよくわかりませんけど(苦笑)。

北野:
 聖書は、会派によってちがうのだろうか。

中沢:
 いえ。旧約・新約の聖書は、どの教派でも共通して使われているようですが。

白井:
 カトリックでは、神父さん。プロテスタントでは牧師さんって呼ぶと聞いたことがあるんですが・・・。

中沢:
 いえ、職名としては、カトリック教会は司祭・・ですね。呼びかたが神父です。
 プロテスタントでは、職名は牧師・・。そして呼びかたは先生です。

白井:
 先生っていうんですか、知らなかったわ。

司会(松山):
 ところで、日本にはどのくらいのキリスト教徒がいるんだろうか。

中沢:
 そうですね。おおよそ260万人くらいといわれています。もっともこの数値は、その宗教団体の自己申告によっているんですが。

司会(松山):
 仏教徒の数はどのくらいですか。

中沢:
 やはり仏教団体の自己申告によるものですが、9200万人ほどといわれています。

司会(松山):
 仏教徒は、一億人に近いんですか。
 日本では、どうもキリスト教徒は明治維新のあとでも、実数では人口の一パーセントをこえたことがないようですね。

中沢:
 そのようです。

白井:
 聖典が二つあるということでしたね。その二つはどうちがうんでしょうか?

近江:
 ユダヤ教からうけついだのが、旧約聖書ですね。
 旧約・・というのは、神と人間とのあいだで結ばれた契約のことです。いっぽうの新約聖書とは、キリスト教の聖典(=バイブル)のこと。これは、キリストと神のあいだで新た・・に結・・ばれ・・た契・・だとされています。

司会(松山):
 ともあれキリスト教は、ヨーロッパでは文化にもいろいろな影響を与えていますね。そのあたりを近江さん、ひとつお願いします。

近江:
 そうですね。
 まずは建築ですが、パリのノートルダム大聖堂が有名です。あれはゴシック建築を代表するものといってよいでしょう。ヨーロッパの建築史は、教会建築の歴史に重なるといえます。キリスト教はそれほどおおきな影響を建築物に与えているということです。

北野:
 それは、どうしてでしょうかね。

近江:
 中世のヨーロッパでは、大規模な建築物といったら教会くらいでした。それでなのでしょうね。

司会(松山):
 美術にも影響をおよぼしていますよね、ヨーロッパでは。
 聖堂には聖人の肖像画だとか、壁画や絵画が飾られている。私たちもテレビでよく目にしていますが。

近江:
 それに教会の窓のステンドグラス。みごとな芸術作品ですね。
 それだけではありません。キリスト教文化は、教会に特有の音楽を生みだしてもいます。

司会(松山):
 それは文学の面でもいえますね。有名なオスカー・ワイルドの『サロメ』。あれなんかも、キリスト教あっての作品ですものね。

近江:
 それに、ジョン・ミルトンの『失楽園』も有名ですね。

白井:
 えっ、失楽園って亡くなられた渡辺淳一さんの作品じゃなかったんですか。あっ、あれとは別物? どうも失礼しました(笑)

司会(松山):
 日本でも、クリスマスやイブの日には、街中がキリスト教っぽい雰囲気(ふんいき)になりますよね。そういう意味では、日本もやっぱり習俗の影響はうけているんでしょうね。

白井:
 そうですね。  
 結婚式を、教会であげる人たちも少なくないですし・・・。

司会(松山):
 さて、キリスト教については、そのくらいにしましょうか。
 そのほか、インド国民の大多数が信奉しているといわれるヒンドゥー教というのがありますね。

北野:
 ええ、仏教発祥の地であるインド。その地で、仏教よりヒンドゥー教のほうが盛んというのも不思議な気がしますが。

司会(松山):
 中沢さん。このヒンドゥー教について解説できますか?

中沢:
 (首をかしげながら)ヒンドゥー教は、はっきりとした一つの体系をもつ宗教ではないんです。呪物(じゅぶつ)崇拝・アニミズム・祖先崇拝などといった、インド古来の民族的な宗教をひっくるめたもののようですね。多くの宗派に分かれていますが、正直のところぼくにはよくわかりません。

北野:
 自然や祖先を崇拝するという意味では、日本の神道に近い感じもしますね。

司会(松山):
 (笑いながらうなずいて)さてここで、私たち日本人がもっともなれ親しんでいる仏教の話に移る予定でした。

 しかし、残念ながら予定の時間がきてしまいました。
 ですので、このつづきは次回(第6回)の『宗教(2)』で行なうことにしたいと思います。
 本日はありがとうございました。  







【まとめ】

 冒頭でものべたように、先ごろオウム真理教の死刑囚たちの刑がとり行われました。そのなかには、いわゆるエリートといわれる人たちもいた。いろいろと考えさせられることの多い事件でしたね。

 でも、知っているようで知らないのが宗教というもの。

 そこで、宗教とはいったい何なのか。そのことを改めて考えてみたい。そう思って今回は宗教をとり上げた次第です。

 セミナーでは、神道(しんとう)・稲荷(いなり)信仰の話題から始まりました。いずれも日本独自のいわばおだやかな宗教でした。

 そして話題は、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教といった<世界宗教>へ。

 すると、この三つの宗教が、もとはといえばユダヤ教という一本の木であった。その木からキリスト教が、ついでイスラム教がそれぞれ枝分(えだわか)れしていった。そういったことがはっきりしてきましたね。

 そして、これらの宗教が神道やお稲荷(いなり)さんのような日本古来の宗教と異なるところ。それは、いずれもが一神教だという点でした。

 ヨーロッパの宗教戦争。あれは、一神教であるがゆえに起きたものではなかったか。

 そのことを踏まえて話題は、世界最大の宗教・キリスト教へと進みました。ですが、仏教に入る直前で予定時間が終了してしまいました。

 宗教はとてもボリュームがあり、ざっと俯瞰(ふかん)するだけでも息切れがしそうなほど。今回の宗教(1)でも、神道からキリスト教までをかけ足で眺めることしかできませんでした。

 ですが、かのアインシュタインもいったそうです。
“仏教は、近代科学と両立可能な唯一の宗教である”
と。


 ところで、こういう話をご存知ですか。

 窓から外をみると人びとの姿がみえる。鏡をみたら自分の顔しか写っていない。どっちも同じガラスなのになぜ? するとラビがいった。“すこし銀がつくと、自分しかみえないようになってしまう”と。

 これは、ユダヤジョークですが、なかなか意味深ですね。

 そこで、次回の宗教(2)では、慈悲(じひ)をとく仏教 - とくに“禅”というもの - をコアにおいて、ゆっくりと話し合ってみたい。そして、少しばかり堀さげてもみたいと考えています。

 というわけで、今回はここまでとしますが、どうぞ次回をご期待ください。

掲載日:平成30年10月31日







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