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第2話 -本-



 はじめに 生きかたのヒント第2回は、『本との付きあいかた』をとり上げてみたいとおもいます。
 なぜ今、読書かというと、昨年(‘17年)の2月でしたか、朝日新聞に、大学生の読書時間が0分、つまり本を読まない人が5割にのぼるという記事がでました。
 そしてそれをキッカケに、「読書はしないといけないの?」と問う声があがる一方で、『死ぬほど読書』というタイトルの本が売り上げ上位に入っているという実情があります。





司会(松山):
 そういうわけで、いま読書をめぐっては、読書派と非読書派が対立している状況にある。
 そこで、今日は皆さんとともに『読書はしないといけないの?』という疑問について考えてみたい、と思います。
 出席者は、第1回のメンバーである北野三郎、白井恵子、丸山和江、それに小泉裕一の皆さんと、今回が初参加の辺見真佐夫さん(26歳)の5名です。ちなみに、辺見さんは、おじいさんが出版社の社長をなさっているかたですので、今回は特別参加をしてもらいました。

(参加者一同 ほぉーといった顔でうなずく)

 では、さっそく始めましょう。
 北野さん、なにかご意見はありませんか。

北野:
 本を読むといっても、いろんなケースがあると思うんですよね。例えば、情報を集めるために読むこともあれば、自分を磨き高めるために読むこともあります。ときには冒険小説のように、胸のワクワクするのを楽しむために読むこともある。

司会(松山):
 読書には、たしかにいくつかの側面がありますね。
 それに、何気なく読んでいた本によってそれまでの悩みが解決したり、ときに人生が変わったりすることもあります。

白井:
 たしかに。
 わたしなんか、若い頃は引っ込み思案な子供だったんですが、ある本との出合いによって人前でもキチンと話せるようになったんです。

司会(松山):
 そうでしたか。
 このセミナーでは前回もテキパキと話をされてましたので、てっきり生まれながらにお話上手なかただとばかり思っていましたが。

白井:
 いえいえ。

北野:
 この問題を考えるには、まず読書の対象である『本』を少なくとも二つに分けて考える必要があると思います。

司会(松山):
 なるほど。で、どのようにでしょう?

北野:
 つまり、教科書や仕事の手引書・マニュアル本のように、勉強や仕事にかかせない類(たぐい)の必読書と、それ以外のものに分ける・・・。

白井:
 それ以外のものっていうと、たとえば文学だとかエッセイ、一代で財を築いたような偉人の伝記本などのことですか。

北野:
 そうですね。そのほかにも推理小説やスポーツ、音楽などいろいろあると思いますが。

司会(松山):
 どうして二つに分けないといけないのかな?

北野:
 だって、大学生の読書時間がゼロだといっても、受験勉強のための教科書や参考書はしっかり読みこんできているはずです。そうでなければ、そもそも大学に入学できませんもの。

白井:
 なるほどね。

司会(松山):
 たしかに小中学や高校にしても、学生は教科書や参考書を読んで予習、復習をしているわけですからね。

北野:
 ええ。

司会(松山):
 そうすると、読書はしないといけないの?というばあいの読書って、いわゆる実用書のような必読書を除く。つまり、自分の趣味や知性を磨くのにプラスになるような本っていう意味になりますか。

北野:
 そうなると思います。
 だから彼ら(=非読書派)は読書を、ギターをひいたり、スポーツをするのと同じに趣味のひとつといっているんでしょうね。

司会(松山):
 なるほど。
 すると、このことは仕事についてもいえますね。とくに専門性の高い医師や弁護士のばあいは・・・・。

北野:
 そうですね。
 私の勤めている法律事務所にも毎日のように、〇〇法規や〇〇加除出版といった会社からこれでもかというほどたくさんの(本の)広告が送られてきています。

司会(松山):
 弁護士が仕事をするうえで欠かせない六法全書とか判決例にしても、書面に書かれているわけですね。

北野:
 ええ、だけど書かれたもの(≒本)が必須なのは、お医者さんの世界も同じです。

司会(松山):
 たしかに。
 医学もつねに進歩しているので、世界のどこかの学会で発表される新説を知るにも医学の専門誌が欠かせないでしょうね。

北野:
 しかも医学の世界は法律とちがって、世界共通だから、最新の説をフォローするだけでもたいへんだと思います。

司会(松山):
 それは医師や弁護士にかぎらず、どんなジャンルでもその道の専門家になるためには、スマホや新聞・雑誌で得られるような知識だけでは役に立たない・・・。

(一同 うなずく)

司会(松山):
 では問題を、勉強や研究あるいは仕事に不可欠な本は除外し、自分の知性や教養を磨き高めるのに役立つような本を読まなければいけないのかを考えてみましょう。

(ここで丸山さんが手を挙げた)

司会(松山):
 はい、どうぞ。

丸山:
 わたしの父は、子供のころからいちばん好きなことは本を読むことでした。
  「傘は忘れることがあっても、本だけは忘れたことがない」って自分でいってるくらいでしたから(笑)。

司会(松山):
 丸山さんのお父さんは落語のお師匠さんでしたね。で、どんな本を?
 やはり、落語についてのものでしょうか。

丸山:
 いえ。まだ14、5歳のころ、初代の柳家小〇〇師匠から、「噺家(はなしか)は、江戸文学を読まなきゃいけないよ」っていわれて、浮世床(うきよどこ)や浮世風呂(うきよぶろ)を読んだといってました。

司会(松山):
 それって、落語の本ではなく、いわゆる滑稽(こっけい)本というやつですね。床屋や風呂屋を舞台にした江戸の庶民のおもしろおかしい話・・・。

丸山:
 ええ、たしか式亭三馬(しきていさんば)という人の代表作ですね。
 父は、ひとつ気に入るとその人の作品を続けて読むクセがあったんですが、馬琴(ばきん)なんかも、よく読んでいました。それがあとになって、たいへん役に立ったといっていましたね。

司会(松山):
 なるほど、芸に深みがでたとか。で、ほかにはどんな本を?

丸山:
 夏目漱石(なつめ そうせき)や、有島武郎(ありしま たけを)も読んでいました。
 それに、猥本(わいほん)も熱心に読んだとか(笑)。

司会(松山):
 猥本はともかく(笑)、主人公が自殺するという重い題材をあつかった漱石の小説『こころ』と、落語のとりあわせというのも面白いですね。
 ともあれ、お父さんのような落語の名人も、子供の頃から文学をはじめいろいろな本を読んでいたということですね。

丸山:
 ええ、そうですね。

辺見:
 漱石の『こころ』といえば、ぼくの祖父も若いころあの本を読んで、『生きるとは何か』を考えさせられたといっていました。

司会(松山):
 辺見さんのおじいさんは、編集の仕事をされているんですよね。

辺見:
 ええ、編集の、それも鬼です。たぶん自分でも分かっていると思いますが(笑)。
 本については、『私の人生は、若いころからずーっと読書とともにあった』といっているくらいです。

司会(松山):
 なるほどね。このあとおじいさんの『本との付きあいかたを』を聞かせて下さい。楽しみです。
 さて、本の読み方ですが、いろいろな本を読めば読むほど、自分にとってプラスになるっていうことでしょうか。

 この点は、まず小泉さんに訊(き)いてみましょう。

小泉:
 ぼくは勉強もきらいだし、そういった本はまず読みません。マンガやアニメは別ですけど。

司会(松山):
 小泉さん、マンガは読むんですか。

小泉:
 ええ、好きですね。

司会(松山):
 マンガもいいと思いますが。
 とっつきにくい分野に入っていく入口として読むのもいい。それにマンガによって生きかたの方向性を決める人だっている筈です。

北野:
 マンガ『空手バカ一代』の影響で格闘家になった人もいたと記憶しますよ。
 私もリラックスしたいときなど、マンガを読んだりしています。

小泉:
 マンガをそういわれると照れちゃうな。
 でも、知性や教養を高めるような本をいろいろ読むかといわれると、読んでいませんね。それでもこれまでに困ったことなんかなにもなかった。だから、本をたくさん読んだらプラスになるなんてことはぜんぜんないと思いますけど。

司会(松山):
 じゃァ、小泉さんがベトナムでラーメン店をやってみようと思いついた(第1話『仕事』を参照のこと)のは、なにがきっかけでしたか。

小泉:
 ブログでいろんな人が海外での活躍を話しているのを見てでしたね。
 だからぼくは、本などなくても、仕事探しなんかはスマホの情報だけで十分だと思っています。

司会(松山):
 本を読むのは好きでないし、時間のムダということですか。

小泉:
 それもありますが、基本、めんどい(面倒くさい)んですよ。読書をしているひまがあったら、ベトナムでラーメン屋をやっているほうが10倍おもしろい・・・。

(ここで北野さんが手をあげた)

司会(松山):
 はい、北野さん。

北野:
 たしかに今、若い人の間では読書離れが進んでいますね。私はいまある大学で、学生たちに民事法を教えていますが、学生の中には小泉さんのように、まったくといっていいほど本を読まない人たちがかなりの数います。

司会(松山):
 やっぱりそうですか。で、若い人たちが読書をしなくなった原因はどこにあるんでしょうか。

北野:
 ひとつには、パソコンやスマホといったインターネットの普及の影響がおおきいと思いますね。ネットをとおして膨大(ぼうだい)な情報が、手許のスマホで瞬時に得られるわけですから。

司会(松山):
 デジタル化というか、ツールの進化がおおきく影響しているのでしょうかね。

北野:
 ええ、人って楽なほうに流れる傾向があるでしょ。

 昔、人は東海道五十三次を歩いたけど、今なら飛行機を利用すればひと眠りしている間に目的地に着いてしまう。墜落したらおおぜいの人が死ぬ。それがわかっていても、だれも法律で飛行を禁止しようとはいわない。

司会(松山):
 それは許された危険の問題ですね。

北野:
 ええ。
 スマホも同じで、依存することの弊害(へいがい)がとりざたされていますが、スマホを廃止しようとはならない。
 地下鉄に乗っていると、乗客がみんなうつむいてスマホをやっている。

司会(松山):
 ほんとですね。では、スマホから大量の情報が得られるので、読書は必要ないとなるのでしょうか。

北野:
 いえ、情報を得るにも読書は重要だと思います。
 もっとも、読書のしかたにもよりますけど。

司会(松山):
 読書のしかたって、『どのように本を読むか』ってことですか。

北野:
 ええ。たくさんの本を、ただ手あたり次第に流し読みするだけならば、読書なんかしないほうがいい。  頭の中が雑然として混乱するだけですから。

辺見:
 いや、それはちょっと違うと思いますが・・・。

司会(松山):
 はい。辺見さん。
どう違うのでしょうかね。

辺見:
 じつは先ごろ、作家の立花隆さんの『読書日記』(週刊文春5月31日号)を読んだのですが、あの人はたいへんな、“濫読家”といっていい・・・。

司会(松山):
 あの作家は、たしかにいろんなジャンルにたいへん詳しいですね。

辺見:
 ええ。あの人は、ずっと昔ゴールデン街で、「ガルガンチュア立花」というバー(酒場)を経営していたそうです。

司会(松山):
 そうなんですか。それで?

辺見:
 彼はそんな体験を紹介しながら、フランスの政治家マクロンの評伝やタツノオトシゴの話から文豪たちの友情、それにタモリが売れっ子になるまでの秘話(?)まで、さまざまな分野の出来事を紹介をしているんです。

司会(松山):
 辺見さんのいいたいのは、日本の知性ともいうべき立花隆氏が、たくさんの本を手あたり次第に読んでいる。だけどキチンと頭が整理されていて、混乱などしていないではないか。だから、雑多な本を多読したっていいのではないか。そういうことですね?

辺見:
 まぁ、そうですね。

司会(松山):
 なるほど、あの作家レベルの人ならば、たしかに頭の中が混乱することもないでしょう。それに仕事の必要に迫られて読んでいるのかもしれませんしね。

辺見:
 はい。

司会(松山):
 この点について、編集者のおじいさん(これからは「Tさん」といいましょう)はどういうお考えでしょうか。

辺見:
 たとえば、「年に500冊の本を速読したって意味がない。重要なのは、その本を読んで自分がどう感じるか」なのだっていっています。

司会(松山):
 Tさんの著書を拝見すると、読み手の心が本とシンクロ(=同調もしくは噛み合うの意)したときに現実を動かす力となるというようなことを述べていますね。

辺見:
 (笑いながら)ええ。すこし難しい表現ですが・・・。

司会(松山):
 いや、私は極めて重要なことをいっておられるんだと思いますよ。
 というのは、高梨紗羅というスキーのジャンプの選手がいるんですが、ソチ・オリンピックでメダルをとれずそのトラウマで絶不調だった。そんな彼女を救った一冊の本があった、というんです。

北野:
 その選手って、平昌(ぴょんちゃん)オリンピックで日本初のメダルを獲得した女性ではないですか?

司会(松山):
 そうですが、ご存知でしたか。
 彼女は、そのトラウマで考えと体がリンクせずに苦しんでいたとき、『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)という本に出会った。そして、まさにその本に書かれていたことと自分の心がシンクロし、自分の道を生きていくことにした。その結果、高梨紗羅選手は歴代ジャンパー1位となり、ギネスにも乗った・・・。

辺見:
 その話を祖父が知ったら喜ぶと思います。

司会(松山):
 (うなずく)

辺見:
 祖父がいうには、ほんとうに困ったとき人は藁にでもすがろうとするが、そのときの心のよすがになるのはやっぱり読書しかないってって口癖のようにいっていますので。

司会(松山):
 なるほど、すると、いまの自分が求めているものにマッチした本との出合いが大切だということですね。
 さて、北野さんに伺います。さきほど、手あたり次第の流し読みは良くないとのことでしたが、では、どういう風に読んだらいいんでしょうか。

北野:
 良書を選んで念入りに読むことでしょうね。つまり、これと思うすぐれた著者の本を選択する。そして、読み進めながら、著者の思想についてじっくりと考える・・・。

司会(松山):
 まずは良い本を選ぶことですか。
 これはまったくそのとおりですね。できの悪い本やくだらない作品は、読み手の時間とお金、それに労力や集中力をうばいとりますからね。

北野:
 ええ。
 そういったいわゆる駄作の氾濫(はんらん)。それがスマホの普及とあいまって、読書離れの一因になっているようにも思われますね。

司会(松山):
 なるほどね。

 ここでちょっと話はヨコにそれます(また本編に戻ってきます(笑))が、みなさん、『デカンショ節』ってご存知ですか。

 “デカンショ デカンショで半年暮らす ア ヨイヨイ

 あとの半年ねて暮らす ヨーオイ ヨーオイ 

 デッカンショ”

っていうやつですが。

丸山:
 はい。私、知っていますが、それがなにか?

司会(松山):
 あの『デカンショ』というかけ声は、どういう意味かご存知ですか。

丸山:
 よく知りませんけど、「出稼(でかせ)ぎしよう」ってことじゃないんですか。

北野:
 そういう説もあるようです。だけどデカンショ節は学生歌からきていて、「デカルト」「カント」「ショーペンハウエル」の略だという説が正しいようですよ。

白井:
 でも、それが今日のテーマである読書と、どういう関係があるんでしょうか(笑)。

司会(松山):
 じつは、いま名前のあがった3人は哲学者で、ラストのショーペンハウエルという人が『読書について』という本を書いているんです。

北野:
 〇文社から鈴木芳子訳ででていますね。

司会(松山):
 ええ、そのショーペンハウエルが『読書について』のなかで面白いことをいっているんですよ。
“多くの学者は多読のために、愚かになっている”
“私たちが本を読む場合、もっとも大切なのは、読まずにすますコツだ”と。

丸山:
 じゃァ、小泉さんが正しいと?

司会(松山):
 いや、小泉さんはそもそも本を読まないっていっているわけです。
 そうじゃなくて、本は読むとして大衆に大受けするようなもの。たとえば、一年で寿命がきてしまうような文芸小冊子、小説、詩など。そういった俗受けするような本には手を出さないのがコツだといっているんですね。良書は別として。

白井:
 そういわれてみれば、世間には、読むにたえないようなおそまつな本があふれかえっていますものねぇ。わたしは、ショーペンハウエルのいうことに賛成です。つまらない本は読破せず、途中で読むのを止めてしまいます。

司会(松山):
 (うなずく)
 さて、北野さんは、「本は良書を選んで読み、書き手が読者に伝えようとしていることを読み取ることが大切である」という意味のことをいわれました。
 この点は辺見さん、どうでしょうか。

辺見:
 そのとおりだと思います。
 祖父は、人にとって読書が大事なのは洞察力を見につけるため、つまり人生や社会について深い洞察のできるようになるためだといっています。

司会(松山):
 たしかに世の中には、まったく考え方のちがう人達がたくさんいる。別の世界に住んでいる人のことを理解しないとうまく人間関係をさばけないですからね。

辺見:
 ええ、本を読むことによって、自分以外のいろいろな人間や人生を追体験できるんだ、というわけです。  そして、その本により自分の琴線(きんせん)にふれるものがあったら、それを思考の軸とする。それが教養だといっています。

司会(松山):
 それにTさんは、「読書を通じて感じたことを自分の中に蓄積していく。それがやがて糠床(ぬかどこ)のように熟成され、思考となって表面に出てくる」という意味のことを著書に書いていますが、名言だと思いますね。

北野:
 司会者はほめてばかりいますが、Tさんは著書のなかで、弁護士の職業には魅力を感じない、といっています。人間の幅を広げるのに役立たない知識ばかりを丸暗記で身につける職業だからですって(笑)。

司会(松山):
 知っています。北野さんには言いたいことがいっぱいあろうかと思います。ですがその問題は、今回のテーマーからはずれるので、ここでは触れないようにしましょう(笑)。

北野:
 司会者は、弁護士業のかたわらみずから本を書いてもいるので腹がたたないんでしょうけど・・・。

司会(松山):
 いや、法の実務にたずさわる弁護士という職業は、企業や個人のほんとうの悩みを知らずに仕事はできないんですよね。いやでも人間のなんたるかを日常業務の中で学んでいますから。
 しかし、そのことと『文学』の世界とは、まったくといってよいほど異なるものだというのもほんとうだと思うんです。

辺見:
 ぼくの祖父のことで話が混乱しているようで、どうもすみません・・・。

(ここで出席者の笑い声)

司会(松山):
 さて、本題に戻ります。

 本を読むのは、人生や社会への洞察力を身につけるためだとすると、そのためにはどんな本が良いのか。この点はどうでしょう、辺見さん。

辺見:
 やはり、古典(文学)や神話などがいいのではないでしょうか。祖父のうけうりになりますが。

丸山:
 わたしも古典は好きでよく読みますが、そこには学問や人間の原点ともいえるような考え方が織りこまれているように感じますね。

北野:
 そうですね。

司会(松山):
 先人の知恵を獲得するには古典もいいですね。温故知新ともいいますし。
 だけど、Tさんは、『本とは現実を戦うための武器なのだ』ともいっています。

辺見:
 はい。祖父は、若いころ学生運動をしていたんですが、挫折した。そのコンプレックスから、自分の弱さを知ったり自分を鼓舞するための手段として本を位置づけているようにも思います。

司会(松山):
 それで、学生運動で在学中に自殺した高野悦子の『二十歳の原点』や、テレアビブの空港で銃を乱射した岡本公三を読む・・・。

辺見:
 おそらく、それが祖父にとっては自分を深く見つめることになるのだと思います。
 もっとも、ヘミングウェイも好きで、実生活でも影響をうけているようです。

丸山:
 影響というと、どんな?

辺見:
 70歳近い今も、ジムに通ってウェイト・トレーニングをやっているようですよ。

丸山:
 私より年長の編集者のかたがジムでトレーニングなんて、凄いですね。

司会(松山):
 本と現実生活ということでみると、太宰治なんかは実生活に影響されて本を書いたり、逆に自分の書いている本の内容に従がった生きざまをしているように感じられます。

北野:
 三島由紀夫も、自分の作りあげた観念というか虚構の世界の中で死んでいったように思われます。

辺見:
 そうですね。

司会(松山):
 ところで、辺見さん。
 Tさんは本の中で、まず認識者になる。その上で覚悟を決めて実践者になる、ということをいっています。覚悟を決めるのはもとより熟慮の上でのことだと思うのです。

辺見:
 ええ、そう思います。

司会(松山):
 近ごろ出版された本で、『独学のすすめ』というのがありますが、そこでは盛んに考える力をつけることをすすめています。私も同感ですが、そうすると、まず物事を認識し、よく考えてから実行に移す。それが重要だということになりますか。

辺見:
 そう思いますね。
 それに知恵を獲得することではないでしょうか。

北野:
 単に知識を得るだけでなく、読書によって考える力や知恵を身につけることが大切という結論になると思いますね。

司会(松山):
 中国の格言に、

 “学びて思わざれば、即(すなわ)ち罔(くら)し、
         思いて学ばざれば、即ち殆(あやう)し。”

というのがあります。
 その意味は、どんなに勉強しても、自分の頭で考えない限り使える知恵とはならない。だけど、自分で考えるばかりで、人の知恵や経験を学ぼうとしなければ独善的になってしまい危うい、というものです。

丸山:
 良書を読まないと、人は“思いて学ばざれば、危うし”のとおり、独りよがりになってしまうおそれがありますね。

司会(松山):
 そうですね。
 さて、今日のテーマも、難かしい問題を含むのでいろいろ意見もあると思いますが、やはり本は人間の、知性を磨くのに欠かせないものであると思います。
 というわけで、結論らしきものが出た(笑い)ので、ひとまずこれで終わりたいと思います。
 本日はありがとうございました。
 では、皆さんもなるべく書店に足を運ぶようにして下さい。新たな希望の出会いがあるかも知れませんので。  







【まとめ】

 今日のセミナー(第2回)では、「本との付合いかた」をテーマとしてとりあげました。

 その出発点は、読書はしないといけないの?という疑問からでした。

 というのも、一口に本とはいってもその中には、(1)小中学校での教科書のような本もあれば、(2)ゴルフ・碁・将棋あるいは野球やサッカーといった、一般の人には趣味に属する本もあります。それとは別に、知性や教養を深めるのに役立つような本が存在しているのも事実です。

 (1)の教科書は読むのが当然といってよい(必読書)ですから、まずこれを除外する。教科書は読まないといけないの?というのはあまりにも愚問ですから。

 では、ゴルフや野球・サッカーといったスポーツや映画・音楽に関する本はといえば、普通の人にとっては趣味の世界に属するものといえます。日曜大工や盆栽、あるいはお茶や花についての本も同じでしょうね。

 このジャンルの本は、読んでも読まなくてもどちらでもいいわけです。例えば、ミステリーの大好きな人は推理小説を読めばいい。しかし、嫌いな人にミステリー小説を読まなければダメとはいえません。

 すると、問題は一点にフォーカスされてきます。すなわち『知性や教養を深めるのに役立つような本』を読まなければいけないの?という点、にです。

 しかし、読書にはリスクもつきまといます。ひとつの例として、思想の問題があるでしょう。ときには、その思想に殉じて死を選ぶ人もでてくるかと思います。

 ところで、時代は少しさかのぼりますが、慶應義塾を創設した福沢諭吉(敬称を略します。)の著作に『福翁自伝』(岩波文庫)があります。

 福翁はその自伝の中で、こう述べています。『私の生涯の中(うち)に出来(でか)してみたいと思うところ(の一つ)は、全国男女の気品を次第次第に高尚に導いて真実文明の名に恥ずかしくないようにすること』である、と。

 その教えは、150年を経た今日においても変らないのではないでしょうか。

 しかし、肝心なのは義務で本を読むのではなく、本を好きになることだと思います。

 大いに読書を楽しみたいものですね。

掲載日:平成30年7月24日




 なお、次回は「スポーツ(運動)」を取り上げてみたいと考えていますので、ご期待ください。






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